4ヶ月、3週と2日

ルーマニアチャウシェスク政権下では、労働力確保のためという理由により避妊も中絶も禁止されていた。が、実際には物資も乏しく子どもを育てられるような社会情勢ではない。中絶を決行する女子学生ガビツァと、彼女を助けるルームメイトのオティリアの苦難の一日描いた物語である。カンヌのパルムドール受賞に納得の優れた作品だが、見終わった後の気持ちはどこまでも重い。個人的な問題を描きながらも強烈な社会批判になっている点は素晴らしいが、人々の心が冷え切っていて、寒々しい作品だ。

間違えないで欲しいのは、彼女は自由のために堕胎するのではなく、すべては現実を生き延びるためだ。中絶を決意する方も、助ける側も、結論を引き延ばし、躊躇はしても、最初から最後まで選択の余地などない。

この物語の面白いのは、堕胎する方ではなくて、手を貸す側の女学生の視点で描いている点。頭が悪そうで、どこか他人事な態度の張本人を横目に走り回り、献身的に面倒を見る。彼女たちのあいだに親密な友情関係があるわけではない。しかし、彼氏の母親のホームパーティで浮き上がってくるように、頭の片隅では、いざというとき誰も助けてはくれないのだということを理解している。要領の悪いルームメイトに怒りを覚えながらも、彼女の姿は明日の自分の姿でもあるのだ。

しかし個人的に一番辛かったのは、この2人の関係である。ある意味確信犯であるガビツァは何度でも似たようなことを繰り返し、そのたびに誰かに泣きつき、終われば何事もなかったかのように振舞うはずだ。一方のオティリアは、ガビツァの傷を自分のものとして一生抱えていくような気がする。ラストでオティリアは観客に視線を投げかけるが、わたしなら同じ行動を取るだろうと思う。思うが当然ながら不本意であり、自分に他の選択肢が見出せないのが辛い。